三輪車
2歳だか3歳位のころ、三輪車を買ってもらった。
幼い私は大層喜び、実家の庭(芝生)で三輪車をブンブン乗り回した。
親の目線から見たら、作業中に手を離してしまい制御が利かなくなった芝刈り機にしか見えなかったと思う。
三輪車という乗り物はとても機能的で、後ろに下がるというハーレーダビッドソン顔負けの機能を備えている。
子どもという生き物は元来、好奇心の塊である。
それは私も例に漏れず、「このペダルを逆に漕いだらどうなるのだろう」という好奇心に基づき、すぐさま[ペダルを逆に漕いだらバックできる]ということを発見した。
母の趣味は庭いじりである。
その時の母は私が芝生を刈り散らしたのをみると、すぐに自分の趣味に興じていた。
私は目撃者がいないまま「ピーッピーッ」と車の後進音を模倣しながら、愚かにも後方確認をせずにバックを始めた。
私の実家は特殊な作りで、家の北側と東側を小さな小川が囲んでいる形になっている。
庭は南側にあり、西側にある駐車場と東側にある小川に面していた。
もう察している方もいるとは思うが、私が後進したのは東側の川の方である。
その小川は私の家の庭から1.5mほど低い位置を流れ、私の家の側はコンクリートで固められていた。堤防をイメージしてくれれば想像に容易い。
もちろん、柵はない。
なぜなら建設業者も両親も、子どもがここから落下するようなアホになるとは夢にも思っていないからである。
先にオチが出てしまったが、幼い私はもうあと数行で落下する。
コンクリートの堤防と芝生の境目は三輪車に乗っていてもわかるので、子どもの私でもすぐに気がついた。流石に三輪車で全力疾走など、家の庭でやるわけではないので、鳥人間コンテストの如く飛び出したのではない。
芝生とコンクリートの境目に気づいた私はなぜかそこからチキンレースを始めたのである。
1人で。
そろ〜り、そろ〜りとピーピー言いながらペダルを逆に漕ぎ、ギリギリのところで止めようとする幼い私。
アホである。
もちろん、2.3歳の子どもがろくにコントロールなどできるわけもなく、慎重にペダルを漕いでいた割にあっけなく私は落下した。
母はおそらく私がピーピー言ってたのがビービーうるさい泣き声に変わったので気づいたのだと思う。
この経験のおかげなのかはわからないが、私が
「自業自得」という言葉を覚えるのは同年代の中でも早い方だった。
私の三輪車デビューは傾奇者としての名を馳せるのに充分すぎるほど奇天烈な形になったが、三輪車にまつわる幼い私のエピソードはもう一つある。
性懲りもなく、三輪車をブイブイ言わせていた当時の私は、両親と散歩に行く時必ず三輪車に乗っていた。
私の実家は割と盆地にあり、大きな道からだとだいたい急な坂や長い坂を下らなければならない場所にあった。
ある時、母方の祖母が遊びにきた。
祖母は沖縄の人なので、我が家にとってはレア度最高レベルの一大イベントであるが、その時は祖母と母と三輪車暴走族と化した私とで近所を散歩していた。
歩くスピードが遅い祖母を横目に私は三輪車で近所をブイブイ走り回った。
この頃の私は三輪車を割とうまく扱えるようになっており、「(三輪車捌きなら誰にも負けねー)」などというなんの根拠もクソもない自信を持っていた。
帰り道、相変わらずブンシャカしていた私は三輪車に乗ったまま下り坂に突っ込んだ。
子ども用三輪車に乗った、または見たことあら方は分かると思うが、三輪車にはブレーキがない。
かつ、自転車やバイクのようにハイスピードの中、重心で曲がろうとしようものなら遠心力でぶっ飛ばされるという言わば飛車のような乗り物である。
その時下った坂は短いせいか少し急で、坂下がT字路のような作りになっていた。
なので、下りきる前に90度ほど曲がらないと正面の雑木林に突っ込むという坂であった。
いくらアホな私でもその坂を三輪車で下ることが危険な事だとわかっていたのだが、祖母の前でイキりたかったのか、一人で勝手に三輪車で坂を下り始めた。
幼い私はすぐにこれが間違いだったと気づく。
私の意図を完全に無視して早く回るペダル、上昇していく体感速度、目の前に迫る雑木林。。。
私は身体を張って笑いをとるお笑い芸人さながらに雑木林に突っ込んだ。
後ろから見ていた親と祖母からしたら大層シュールな光景だったと思う。
母は制御の効かない三輪車に乗り、なんの抵抗もないまま雑木林に突っ込む幼い息子の背中を見てどう思ったのだろうか。
普通に爆笑していた。
まあ、これは私が母の立場でも爆笑する。
再三にわたり「危ないよ」と言っていた結末がこれなのでそりゃ自業自得である。
ちなみにこの時の私はまだ自業自得という言葉を知らない。
散々イキり散らかした上での失敗なので流石に学び、今後そのような失敗はしなかった。
ということができるのは賢い人だけなので、私はイキり散らかした上での失敗というのをこの後も度々繰り返す。
それはまた今度のお話である。