オカ太郎の行けたら行きます

一人称が定まらない26歳「元」童貞の独り言

あたらしいあさがきた

朝、1発目にくる便意を放出することをごく稀に「ご開帳」と題することがあります。

 

こんにちは。

 

本日もご開帳のお知らせがあったのでいそいそとお花畑にやってきたのですが、全然ご開帳の気配がなくなったので、「あ、これにて、手仕舞い」とだけ言ってお花畑を後にしました。

 

これが上手くお花を摘む段階に入ると、某GANTZでお馴染みの曲が流れます。

ただ、今は夏仕様なので某◯RANGE RANGEの祭男爵が流れます。ソイヤッつってね

 

夫婦喧嘩というものはどんなに仲が良い夫婦でも必ずしもあるものである。

 

我が両親の夫婦仲も決して良好とは言えないが、私が幼い頃はまだ今よりも多少マシだったように思う。

 

そんな両親、今までに何度か「これは離婚待ったなしだ」と私が思う出来事が何度か訪れているのだが、これは私が子どもの頃に初めて「あ、離婚…?」となった時の話である。

 

その日、我が家には私が生まれる前に両親が娘の如く可愛がっていた姪っ子が遊びに来ていた。

姪は私よりも8つ程歳が上なのでこの頃には割と大人と対等に会話ができる年齢になっていた。

 

何が理由で険悪になったのかはよく覚えていないが、晩御飯前に両親はピリついていた。

おそらく本当にしょうもない理由なので私も全く覚えていない。

 

元々両親(特に父)は私でも「(あれ…?)」と思うくらい幼いところがあるので、しょうもない理由での喧嘩は多い方だったのだが、子どもパワーで「喧嘩はやめて!」というと毎回母に「これは『議論』っていうのよ」と諭された記憶がある。

 

私はこの時に「屁理屈」というものを覚えたのだと思う。

 

ただ、この時は明らかに双方感情的になっており、子どもパワーを使ってもどうにもならないことを私は直感的に感じていた。

 

内心、「(姪とはいえお客さんが来てんのに何してんねん)」と思いつつテレビを見て見ぬフリをしていた。

 

この姪、なかなかにできた人で両親がしょうもない喧嘩を始めると常に中立の立場を取りつつ、話を上手くまとめる能力を持っていた。

 

だか、姪もただならぬ雰囲気を察していたのか黙ってテレビを見ていた。

 

 

 

いざ、料理を運ぶとなった時に事件はおきた。

 

 

昔の父は亭主関白ぶるところがあり、配膳の際、一切手伝うという動作をしない人だった。

 

この時もいつものように母が料理を運ぶのをドカッと構えて待っていた。

 

そして、母が味噌汁を運んでくるとき、私と姪の時間は一瞬0.5倍速になった。

文字通りの「手を滑らした」をこのピリついたタイミングで母がやらかしたのである。

 

あろうことにかその味噌汁は見事に父の元へ降り注いだ。

 

 

「出てってやる!!!!!!!」

 

父の沸点は元々低い方ではあるのだが、子どもの私がビックリするぐらいには激怒した。

母も先程の高圧的な態度を吹き飛ばし平謝りしていた。

 

ただ、出ていこうにも服があついので、わたわたしながらシャワーを浴びに行った。

それを見て「(あーこれは出ていかないな)」と薄々感じながらも色々な意味を込めて「何してんだよ〜」と母に言った。

 

その後、父はシャワーから出て来た後、案の定出ていかず晩御飯を食べたいた。

母は「(出ていかんのかい)」と思っているのが私にもわかるくらいの微妙な表情で、腫れ物に触るような感じで父に接していた。

 

結局この日、ピリピリした空気をずっと引きずったまま一日を終えたのだが、やはり時間とはすごいものでお互い翌日にはケロッとしていた。

 

この日のピリつき具合は私が初めて「下手したら離婚するんじゃないか…」と感じたレベルだったのにである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時の出来事は母と2人でいると時折話題に上がる。

前にこの話をした時に

 

「あの時味噌汁ぶっかけた時は本当に終わったと思ったわ」

 

と言ったら

 

「あーあれね。わざとだよ。だってめっちゃムカついたんだもん。」

 

とサラッと母が言い放ったので、女って怖いな…と思いました。

 

 

後にも先にも母が父に攻撃したのはこの一回だけです。